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紅葉 Ⅲ ~半透明の際立ち

赤黄の紅葉の中で、コシアブラと思うんですけど透けるような淡黄緑色の葉と黒い実。

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「華道」11月号に寄せられた記事です。
折に触れ感じていることがここにありました。

花の道しるべ 桝野俊明
「体露金風」 目に触れるものそのものが悟りの姿

「金風(きんぷう)」というのは秋風のことです。
山の木をにぎわせていた葉も、秋風に吹かれてすっかりと落ちてしまいます。
もう少し紅葉を楽しみたいと願っても、
秋風は容赦なく葉を散らしていく。
そうしてやがて木々はその幹を露わにします。
「体露(たいろ)」とはすべてが露わになっている状態を意味します。
これこそが自然の計らい事であり、人間が立ち入ることのできない理です。
目に触れる自然。
それこそが悟りの姿そのものであることを意味した禅語です。
・・・
中略
・・・
ただそこに厳然として存在しているもの。
春風が吹けば山はもえ、冬になれば姿を露わに見せる。
日が暮れれば潮が満ち、そしてまた引いていく。
延々と繰り返されるその営みを前にして、人間はどうすることもできません。
自然の中に身を委ねて、共に生きていくことしかできないのです。
それは決して「あきらめる」ということではありません。
自然に対して「明らかに見極める」ということなのです。
私たち人間もまた、自然の一部であることを忘れてはいけない。
自然は相対するものではなく、共存していくものです。
自然からの恵みを十分に受け入れながらも、
自然に対する畏怖心を持っていなければなりません。
畏怖の心を忘れ、私たちが傲慢になったとき、大自然は牙をむくのです。
たくさんの葉と実を付けた木も、枯れ果てて姿を露わにした木も、一本の同じ木です。
姿形は変えても、その本質を変えることはありません。
そしてその本質の中にこそ、最も大事なものが宿っているのです。


by budoudana-de | 2015-10-27 00:28 | 自然

平凡な田舎暮らし。毎日の嬉し、楽し、気がかり、感じたことを綴ります。お花に触れていると幸せを感じます。


by 茜
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